この指とまれ!目指せ、創業梁山泊
〜関西における中小企業支援の実態〜
冷え込み厳しい関西経済
「東京とはゼロひとつ違うからなぁ。ほんまに
厳しいわ…」
「大阪では提案した企画を違う会社へ発注して
しまう。えげつないわ!」
最近、この様な会話をよく耳にする。同じ仕事
をしても請負金額が一桁違い、さらには営業活動
の一環として提案した企画内容を他社に低価格で
させてしまう。関西でビジネスをするよりも東京
のほうがスマートでやりやすいと言う。
明るい話が聞けないのは日本全国共通だと思う
が、とりわけ関西の景気低迷の厳しさは来るとこ
ろまで来てしまったという感じだ。新幹線で新大
阪〜東京間は2時間49分。大手企業は東京への
一極集中を加速させ、大阪と東京の「経済格差」
はひらくばかり。関東勢に向こうを張れるのはU
SJぐらいといったところだろうか。
「あきない・えーど」での出会い
(1)右肩上がりのP社
口を開けば景気の悪い話ばかりという中、昨年
の秋に「忙しくて忙しくて。お客さまからは声が
かかるのですが、それに対応できる人が足りなく
て大変ですわ」とうれしい悲鳴を上げ、今時めず
らしく右肩上がりの成長を続けている会社に出会
った。
宝飾品の卸売業を営むこの会社(以下P社)は、
従来型の卸売業ではなく、その枠を超えた機能形
成を行うことを標榜し、百貨店販売等に直接携わ
る中でマーケティングノウハウを構成してきた。
その実績をもとに開発したリテイルサポートシス
テムを全国に展開することで、宝飾小売店業界の
活性化に直結させるとともに、リテイルサポート
及びラックジョバー方式の連動で催事と平常時の
両面から小売店業績を拡大させることによって、
成長を続けている。
この元気なP社と当社の出会いに話を戻すと、
「会社は勢いに乗っているが、このままでは何か
が足りない…」と漠然とした悩みを抱えた役員が、
「あきない・えーど」の「コンサル出前一丁」と
いう支援メニューを利用し、当社にコンサルティ
ングの依頼のメールが届いたことが事の始まりで
あった。その後、役員の漠然とした悩みをヒアリ
ングしながらP社の現状を把握し5カ年経営計画
を作成、最終的には中小企業経営革新支援法の認
定を受けた。
(2)「あきない・えーど」とは?
P社との出会いのきっかけになった「あきない・
えーど」とは、大阪の中央区本町にそびえる大阪
産業創造館にあり、創業を志す方から創業数十年
の中小企業までを総合的に支援する大阪市のサー
ビス機関である。しかし、大阪市の機関ではある
が、所長以下サービスに直接携わる全スタッフが
民間人で、インターネットを活用して柔軟な発想
で縦横無尽な創業支援・経営支援サービスを行っ
ている。
その「あきない・えーど」のコンサルティング
サービスのひとつが「コンサル出前一丁」である。
一度聞いたら忘れられないネーミングであるが、
『ラーメンの出前を頼むように気軽にコンサルテ
ィングを受けたい』と悩んでいる中小企業経営
者・創業者の方に、選りすぐりのコンサルティング
を提供するサービスである。50種類以上に及ぶパ
ッケージ・メニューの中から、経営課題に応じた
メニューを選べる。例えば、経営計画を策定した
いがやり方がわからない…、会計ソフトを使って
パソコン会計を導入したい…、新製品開発会議に
専門家にも出席してもらいたい…、そろそろ人事
制度を見直したい…、売上アップの方法を探りた
い…等々。いわば、「かゆいところに手が届くサー
ビス」である。
また、コンサルティングの成果はクライアント
となる経営者等とコンサルタントとの相性によっ
て大きく違うという観点から、ホームページ上で
コンサルタントのプロフィールや顔写真を見なが
らじっくりと検討出来る仕組みとなっている。
コンサルタントが・・出前される前には、クライア
ント(経営者)と指名されたコンサルタント、あ
きない・えーどのスタッフの三者で面談が行われ、
相談内容や相性の再確認が行われ、・・出前の実施と
なる。インターネットを支援ツールとしてうまく
組み込み、より効果的な活動が行われている。
「創業塾」を中心とした創業支援の動き
既存の事業所の活力を盛り返す支援策が図られ
る一方、創業者への支援策も国をあげての重点施
策として充実されている。
そんな中、関西でも創業を目指す人を対象とし
て集中的に講義を行う「創業塾」が数多く実施さ
れている。そして、その修了生の有志が創業塾で
築かれたネットワークを一過性に終わらせないた
め、懇話会を定期的に開催している。世代や業種
が違っても目指すべき心意気が同じであり、塾で
寝食を共にした仲間は、何者にも代え難い貴重な
存在になっている。創業後、順風満帆に進むこと
はめずらしく、大抵は紆余曲折しながら進む中、
季節毎に集まり近況報告を行い、お互いに助言を
し合うことで、創業に向けて前進するパワーがみ
なぎってくるという。創業塾がきっかけとなり、
ネットワーク力が芽生えている好例といえる。
今回は、中小企業支援策を受けた側の立場とし
て2名の方に事業の立ち上げと創業塾への参加、
その後の懇話会活動、今後の夢についてお話を伺
った。
創業塾卒業生談@
(有)ブルーム 松尾 裕司 氏
まずは、京都府商工会連合会の創業塾修了生で
懇話会事務局役を務めている(有)ブルームの松
尾裕司氏。創業塾をきっかけとして、長年勤めた
広告代理店を退職しプロモーション及び広告のト
ータルプロデュース事業を興されたという創業に
ついてお話を伺った。
(1)そうだ創業塾を受けてみよう
〜そのときの私の状況〜
私は、大学卒業後に広告代理店に企画の仕事を
夢見て入社した。しかし、入社後に配属になった
のは営業職。担当は新規セールスだったが、どう
しても企画の仕事をやりたくて、先輩の見よう見
まねで企画関係の仕事を進んで取るようにし、企
画のレパートリーを徐々に増やしていった。
また、その時期は会社をもっと大きくしたいと
いう野望もあって『仕事=命』という位、仕事に全
力を注いでいた。その後、営業からディレクター、
プロデューサーと経験したのだが、今から7・8
年前に大きな会社への転職のチャンスがあった。
しかし、最初に話があった時には、仕事のおもし
ろさと野望に燃えており転職など考えることもで
きなかったので断った。その1年後に会社の方針
と合わないことが分かり、転職を考えるようにな
った。そこで、話のあった会社に打診したのだが、
採用セクションが違い断念する。その時点では自
分自身で事業を興す考えなどなく、年令からも「今
の会社で続けなければならない」と心に決め、や
るからには仕事を楽しくやろうと気持を切り替え
た。
しかし、世の中うまくいかないもので、3年前
にリストラがあり、いいチームを組んでいた先輩
が辞め、その先輩の担当していた仕事も廻ってき
て膨大な仕事量となってきた。また、会社との対
立も悪化の一方で、仕事好きの人間なのに会社へ
行くのも嫌になり、「もう、いやや。何とかしたい。」
という、かすかな独立への想いが1999年初冬
に芽生え始めた。
(2)創業塾開催の広告にふれる
年が明けて2000年1月中旬、新聞広告で偶然「創
業塾」の広告を発見し、「これや!」と思い、すぐ
申し込んだ。しかし、この広告が今後の人生を大
きく変えるとは、その時点では夢にも思わなかっ
た。
(3)創業塾に参加して
創業塾の初日に参加し、「これは、すごい内容や」
と思い、その後行われる創業塾のBコースだけ申
込をしていたのを、せっかくの機会なのでA・C
コースも申し込んだ。
入社以来、広告関係の仕事ばかりをやっていた
ので、講義のすべての内容が新鮮に思え、ワクワ
クして開講を待ち望んだことを覚えている。
この時の創業塾は、2泊3日の合宿講習で、集
中して講義を受けることができ、先生が熱く語ら
れた創業へのポイントとマインド、そして先輩創
業者の方々の創業体験談と、たいへん勉強になり、
参考になった。また、夜の懇親会で先生・京都府
商工会連合会・受講生の方々と夜遅くまで話をし
て、勇気と自信をいただいた。特に、自分の中で
独立するには年令の問題が一番のネックだったの
だが、60才の方が、「人生は思い立った時が、出
発や。あと、60年頑張るんや」と言われた時に
は、びっくりし感動した。
すべてのことが初めての経験であり、体験であ
ったので、創業に関してはもちろん、人生におい
てもたいへんいい機会を持てたこと、そして充実
した日々を送れたことを感謝している。
(4)私にとっての創業塾〜人との出会い〜
ほんとうに偶然目にとまった創業塾の広告が、
私の人生を大きく変えてしまった。もし、この広
告を発見していなかったら、そして、創業塾に参
加していなかったら、また、創業塾の夜に熱く語
り合ったあの懇親会がなかったら今の私はなかっ
た。
人生の岐路に多くの方々に出会え、今も続いて
いるこの貴重な出会いが私の大きな財産となって
いる。2月末のCコースの最終日に独立を決心、
3月に会社へ退職の報告後、2000年8月31
日退社。同10月会社設立を行った。
(5)同じ釜の飯の仲間たち
この創業塾には、私と同じように多コースを受
講されておられた方が何名かおられ、よく話をす
るようになった。皆「このまま解散するのは名残
惜しい」という思いがあり、最終コース帰りのバ
スの中でA・B・Cコース参加者の名簿作成と「創
業塾懇話会」発足の話が持ち上がり、京都府商工
会連合会・先生方の協力もいただきながら、有志
で会を発足することとなった。
その会が今年で3年目を迎える。年3回の例会
には、京都府商工会連合会・創業塾の先生方にも
ご参加いただき、会員のビジネスプラン・近況の
発表、先生方より創業・経営革新のポイント、商
工会連合会からの創業者等に関する行政支援の話
など、会員同志で創業・経営革新に対し切磋琢磨
している。
今後さらに内容を充実させ、また会員同志のネ
ットワークによるビジネスチャンスの拡大も図り
たいと考えている。私にとって、この創業塾懇話
会の会員とのネットワークが、今までにない未知
のビジネスへの広がりとなっている。そして、こ
のネットワークからの新たなビジネスが、今後、
私の会社の大きな基幹となる可能性を秘めている。
また、ビジネス以外でも多くの異業種の方々と
知り合うことができ、情報交換・親睦会などを通
じ、ますます広がる人から人へのネットワークは、
何にも変えがたい私のすばらしい宝物である。
(6)新たな人生の夢に向けて
私の場合、幸運なことに創業してから営業活
動も行わないのに、次から次へと仕事が入り、こ
なすだけで精一杯という状況で、あっと言う間に
1年半が過ぎてしまった。しかし、私の目指す方
向と違う仕事も多く、また収支面も散々たるもの
であった。
現在、1年半を振り返り、再度創業時の原点に
戻り、すべてのことに関して検証の時間を確保す
るように努めている。そして、大きく広がった創
業塾のネットワークを十二分に視野に入れ、早急
にビジネスプラン・ビジネスモデル・短中長期計
画を作成し直し、あと1年半で軌道に乗せるよう
にしたいと考えている。
当社の主な業務内容は、プロモーション及び広
告のトータルプロデュースとその実施であるが、
なかなかその重要性が認識されていないのが現状
である。特に創業企業や経営革新企業において、
商品・製品開発には、ある程度の予算をかけるの
だが、それを売るプロモーションには、それ相応
の予算をかけていない。いくらすばらしい商品・
すごいシステムを開発しても、それを認知と購買
へと繋げるベストなプロモーションがなければ、
成功はありえない。つまり、開発時点よりプロモ
ーションを念頭においた商品・製品開発が不可欠
なのである。
今後の夢としては、創業塾を核とした増々広が
るネットワークを中心に、プロモーション及び広
告の重要性の普及に努め、また、それを実施する
ことにより、企業の業績向上を目標としていきた
いと考えている。
創業塾卒業生談A
ネクスタ 橋本 裕昭 氏
二人目は、大阪府商工会連合会の創業塾卒業生
であるネクスタの橋本裕昭氏。勤めていた家業の
会社から独立され、家庭用品の企画、製造、販売
の事業を立ち上げる。中国やアメリカなどグロー
バルな活躍をされている。
(1)私を変えたアメリカ体験
私は家庭用品の企画、製造、販売で、日本で企
画開発をした商品を中国で生産をして日本、アメ
リカなどに販売する事業を興した。しかし、2年
前までは、父親と父親の兄で創業をした同族会社
にごく当たり前のように就職してから18年間勤
めてきた。
その会社に就職当時、家庭用品の1次問屋とい
う第2次世界大戦後の産業時代の産物で、メーカ
ーが作った商品を地方の問屋に紹介するだけでビ
ジネスとして成り立っていた。私は会社の将来を
考え、自社に工場はないが商品を企画してメーカ
ーに下請けとして製造してもらうことを思いつき、
日本のメーカーはもちろん、約15年前から中国
の工場との取引も開始した。しかし、中国は今で
も問題があるが、当時はかなりひどかったことを
覚えている。
また、販売先としてアメリカを選び、子会社を
設立し私自身が代表者として2年前まで約4年間
ビジネスを行った。この4年間は、日本で勤めて
いては遭遇しないであろう貴重な経験をたくさん
した。例えば、着任した途端、前任の現地責任者
の責任代替で取り立て屋に追いまわされたりもし
た。お陰で、赴任中に英語は上達しなかったが、
アメリカの法律や税制にはとても詳しくなった。
友人には笑い話として、その恐怖体験を題目に本
でも書いたらどうかと冷やかされたりしていたが、
当時は家族だけでも日本へ返そうかと思う日々で
あった。
結局、アメリカビジネスは失敗に終わり帰国す
ることになったが、日本だけでビジネスをして「井
の中の蛙」ではダメだということを実感できた。帰
国後、私のビジョンはますます海外志向になり、
ひとつの強い使命が生まれ、会社を辞め独立を決
心した。
(2)独立を決心したが…
強い使命から会社を辞め独立を決心したのだが、
まさか誰も私が会社を辞めるとは思わなかったの
で知った人は驚き、未だに正式に発表されていな
いようだ。
いざ独立して事業を立ち上げる時に、出来上が
った決算書に対しては、どうこう言えても実務レ
ベルの仕分けは出来ない自分に気が付いた。今ま
で、周りにスタッフがいて組織を使ってビジネス
をやってきたというキャリアはあるので、経験が
ある営業や企画製造、仕入れは自分で出来るが、
関与したことがない経理や財務、総務などは何一
つできないのである。
(3)自分の弱点を思い知った創業塾
独立は決心したが、アメリカでのビジネス、生
活に疲れていたので1年間は充電に当てようと思
っていた。その頃、ふと新聞の折り込みチラシで
創業塾の案内を見つけ、「もう一度、基本に戻ろう」
と思い立ち創業塾へ申込をすることにした。
2001年9月の毎週末の10:00〜17:
00に授業が行われた。授業が進むに連れて自分
の弱点が明確になっていく。やはり仕分けができ
ない…しかし、これは小さなこと。また、授業の
中ではマーケティングプラン、事業構造プラン、
販売計画表など事業計画書を作成する。これはス
ラスラ書ける。今までやってきた事の延長なので
簡単だ。しかし、でき上がった事業計画書を読み
直してみると、客観的に何か足りない。もし自分
が投資家だったら、このプランを聞いてもエキサ
イトしない。この起業には自信があるのになぜ
だ?
グループディスカッションの時間に他の受講生
ともいろいろ話をしてみるが、みんなの話にも何
かが足りない。しかし、他人の話には冷静に対処
ができる。
何度も自分の事業計画書を読み直し、ようやく
分かった。「そうだ!ビジョンだ。一番肝心のビジ
ョンだ。事業としての経営理念が足りない。」作成
した事業計画書では、以前に勤めていた組織の傘
の下にいる時の甘えたままのビジョンであった。
これでは起業する意味がないし自分の思いである
使命は達成できない。
創業塾に参加していなかったら、「常にイノベー
ションしてその使命を達成するために起業するの
だ!」ということに気付かないまま創業していた
と思う。創業塾は創業する為の戦術だけを教えて
くれている訳ではない。多分これに気付いている
人は少ないかもしれない。私自身もこれに気付い
たのは創業塾を卒業した後で、実際に創業にあた
り正式な準備に入っての頃であった。
(4)創業塾、その後
創業準備に入るといろいろな雑音が入ってきて
方向を修正したくなる時がある。自信がなくなり
不安に勇気がめげてくる。創業してからもそうだ。
しかし、その時こそビジョンを思い起こす。
使命達成の為の道は左右上下いろいろである。
「イノベーションをしてチャレンジを忘れるな。
夢のためにビジョンを持ち、そのビジョンに基づ
きしっかりとした目的を持つ。」この基本中の基本
を、私に再度叩き込んだのは創業塾であった。
創業後の進行状況は何度も練り直した事業計画
の目標通りに進んでおり、今は第2ステップで、
創業を決意するにきっかけになったアメリカへの
販売準備の段階に入っている。
今後事業を続けていく中で、成功して喜ぶ時も
悩み苦しむ時も創業塾が与えてくれた事を忘れず
に自分の指針にしてがんばっていきたいと思う。
この指とまれの発想
(1)創業梁山泊構想
今年度「創業梁山泊構想」この仰々しいタイト
ルの創業者支援が、大阪府商工会連合会で実施さ
れる。
そもそも梁山泊(りょうざんぱく)とは、中国、
山東省西部の梁山のふもとにあった黄河の氾濫原
のことをいい、北宋末・宋江(そうこう)の反乱
軍が拠った地である。「水滸伝(すいこでん)」に
宋江を首領とする一〇八人の豪傑が集まった所と
脚色されて以来、慷慨(こうがい)の士や豪傑の
集まりたむろする所の意にいう。つまり、「志持つ
者、ここに集まれ!」ということである。
今回の「創業梁山泊構想」は、既に大阪府商工
会連合会の創業塾を受講した卒業生(第1期〜第
5期)を対象にしており、創業に向けた強い志を
有する者が、互いに研鑚と情報・交流を図り、助
け合い・協調し合いながら、「より確かな事業に仕
上げ、立ち上げる」ことを目的として行われる。
側面からは中小企業診断士・弁護士・税理士等そ
の道のプロがサポートする体制も整えている。
具体的には、月1回(6ヶ月間)、講師による指
導と合わせて受講者自らが発表や討議を行いなが
ら進めていくことを基本に行う。そのため、受け
身のセミナーとは異なり常に問題提起をしていき、
次の会までにそれぞれが準備していく必要がある。
また、創業して間がない経営者を招き、参加者の
身近な先輩としての意見を聞き、より現実的な創
業時の実態を確認しながら、自身の計画を再度練
り直していく。
創業塾を受講したけれどもあと一歩自信のない
人や創業に向けてラストスパートをかけたい人が、
創業に必要な知識を修得することでき、高いモチ
ベーションを保ったまま、より確実な事業の立ち
上げを行うことが可能となる。
(2)より確実な支援に向けて
中小企業基本法が変わり、「指導から支援へ」と
掲げられて2年目になる。前述のあきない・えー
どでは、相談に来られる方を「クライアント」と
呼んで、そのクライアントの満足がサービスの品
質基準であり、あきない・えーどの行動指針とし
ている。また、「創業梁山泊構想」の主催者である
大阪府商工会連合会の三好次長は、「車の点検方
式」に真似た支援が必要だと話されている。つま
り、創業塾を受講したら支援終了というのではな
く、受講3か月後、6か月後、1年後と定期的に
連絡をとり、創業に向けてのフォロー指導を定期
的に行っているのである。
このように、関西の経済は東京に比べてかなり
厳しいという現実があるなか、中小企業者により
密着し支援を受けやすい体制づくりが確実に進ん
でいると思われる。
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